弥生ファッションデザイン専門学校は、1948年、第2次世界大戦終戦直後に、
故・内藤弥吉(前理事長)により、創立されました。
日本の敗戦のともなって、アメリカ文化が急激に流入し、
それまで和装がまだ多かった一般の女性のあいだにも、洋服がひろまりました。
「サザエさん」の連載が始まったのはこの頃。だから、おばあちゃんのフネさんはいつも和装ですが、
その娘の代のサザエさんは、いつも洋服ですね。
当時はまだ、今のような大量生産のシステムがなく、「洋装店」という、
オーダーで洋服を作る個人の店で服を作る人が多かったのです。
アメリカやパリの流行に敏感で、センスがよく、技術のある女性オーナーの洋装店は、人気がありました。
そういった、センスと技術のある、自立した女性を育成することを目指したのです。
戦争で、たくさんの男性が亡くなり、女性が働かなくてはならない時代でもありました。
やがて、だんだんに世の中が落ち着いてくると、
義務教育を終えてから、洋裁をはじめとする、さまざまな技術や教養を身につけて、結婚して、
「いい奥様」になりたい、という傾向が女性のあいだに拡がってきました。
このころ、弥生は、足立区で最初の鉄筋の校舎を、現在地に建設、
洋裁、和裁のほか、料理、花道、茶道、編物、書道、
そのほかさまざまな教養と技術の習得の場を提供しました。
昼間部と夜間部の2部制で、
もちろん、お稽古としてだけでなく、自立のための勉強をする女性のためのコースも継続し、
数多くの卒業生を輩出しました。
東武線沿線の方のおばあさん、おかあさん、おばさん方のなかには、
弥生の出身者がかなりいらっしゃいますよ。
昭和57年(1982年)、弥生は東京都の専門学校法の認可をいちはやく取得、
学科を見直し、カリキュラムを大幅に変更して、専門学校に昇格しました。
その後の、女性の社会進出を見越しての変身です。
創立から35年、当初の、「女性の自立」を目指すという原点に戻ったわけですね。
その後、さらに、男女の枠を取り払い、共学になりました。
以後、創立50周年を経て、21世紀を迎えました。
日本のファッションとそれをとりまく状況も随分、変わりました。
世の中の変化の速度もずっと速くなりました。
会社というものの意識が変わり、就職に対するノウハウが急激に変化しています。
また、世界をつなぐインターネットネットワークの拡がりのなかで、
日本という国をこえたアジアでのファッション生産が広がりつつあります。
弥生は、時代の要請に応じて、さまざまな教育を行ってきましたが、
少子化の進む21世紀を迎えて、ひとつの方向を定めました。
弥生では、いま、「いい服をつくること」、「優れた服飾造形」に重点を置いて、
とくにやる気のある学生を求め、少人数制で教育をしています。
自分自身のアイディアや、企画を実現し、「自分らしさ」を表出できるだけのたしかな技術力があれば、
さまざまなコンテストを始めとするチャンスにも恵まれ、
自分の力を発揮できて、仕事にも恵まれます。
これからの時代は、好きなことと、確かな技術が、生きる力の両輪となっていきます。
学歴偏重の価値から、ほんとうにだいじな自分の価値へ。21世紀の弥生です。